March 4th, 2003 |
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超熟倶楽部(2013年閉鎖)のまーちゃんの第3弾はチェック柄のホットパンツです。こんな状況でも、いえ、こんな状況だからこそ、濡れてしまう格子の中の○ん○。こんな○ん○を「格子の中の懲りないめん面」と名付けてみました。(従って、「○ん○」は「めん面」です。) 昭和61年に出版された安部譲二さんの単行本「塀の中の懲りない面々」になぞらえたものですが、このフレーズに聞き覚えのあるあなたは立派なおじさん(立派なおばさんもいますか)ってことです。 |
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まずは高速道路のパーキングエリアへ。自動販売機で飲み物を買ったりしちゃってます。結構余裕の表情。(^_^;
そのままの格好で車まで。
続いてはローカル線の駅へ。電車が来るまでの時間、コートを着たり脱いだり。
さて電車に乗り込むときにコートはどうするの?
電車内へ。さすがに電車の中ではこれが限界でした。(^_^; |
電車の中ではコートを脱げませんでしたが、このままでは終わらないのがまーちゃん。
電車から降りたら、すかさずコートを脱いで、全裸で線路を横断。
最後はおまけのワンショット。制作過程の一枚です。
作品5、作品7、作品8にご協力くださったまーちゃんが癌のため、2005年2月14日に 当美術館の画像データと我々の記憶だけに残る存在になってしまいました。 癌をおして当美術館の作品に協力してくださったまーちゃんに 心から感謝すると共に、深い哀悼の意を表します。 まーちゃんのパートナー、ゆうぽん様から初めてメールをもらったのは2003年9月。 「露出好きのまーちゃんが癌に侵されていて余命は1年注)。 まーちゃんの生き甲斐としてボディーペインティングを是非やって欲しい。」という話でした。 注) ゆうぽん様によるまーちゃんの追悼ページへの書き込みによれば余命は3ヶ月と言われていたようです。 ボディーペインティングの日、初めてお会いしたまーちゃんは 黒のシースルーのシャツに黒のホットパンツという露出好きの評判にたがわないスタイルでした。 ボディーペインティング中、何人もの男性に全身くまなく見られたまーちゃんはだいぶ興奮していたようです。 ボディーペインティングが完成すると、「1ヶ所で30分間ゆっくりと食事をする」という 今まで誰も成し得なかった「快挙」をあっさりと成し遂げてくれました。 まーちゃんは最初のボディーペインティングを大変喜んでくれました。 体調にも非常に良い影響があったようで、 一時はお医者さんも「医学的には奇跡としか言いようがない。」と驚かれたそうです。 そんな訳でその後2作品に関わって頂くことになりました。 私としても「ボディーペインティング療法」ができたかなという思いもありました。 しかし、やはり1年5ヶ月で帰らぬ人となってしまいました。 作品8の英語名が"Uncontrollable Animal in Lattice"でしたが、癌はやはり"uncontrollable"でした。 まーちゃんは、気さくで、親切で、上品で、美人で、その上エッチという理想的な女性でした。 JANBOPAI Museum の協力者の中にはまーちゃんの家に泊めてもらって、 「裸エプロン」で作ってもらった手作り料理に大感激した人もいます。 ゆうぽん様から訃報が入ったのは2005年2月14日の夕方。 ちょうど発売中の「裏モノJAPAN」にはまーちゃんの写真が7枚掲載中。 しかも水色のホットパンツには大小の唇の間の縦筋が2本くっきりと写っている写真まで掲載されていました。 まーちゃんは最後まで「現役」でいられたことを喜んでいてくれたそうです。 JANBOPAI Museum に大きな足跡を残してくれたまーちゃんに あらためて深い感謝の気持ちを表したいと思います。 今後も天国の皆さんにまーちゃんの美しい裸体を見せてあげてください。 私たちはまーちゃんのことを永遠に忘れません。 当美術館での経験がまーちゃんにとってこの世の楽しい思い出になってくれたことを祈ります。 最後にまーちゃんのパートナーであるゆうぽん様からの雑記帳への書き込みを紹介します。
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